第2部 「日英の園芸家魂 ~園芸への取り組み方と未来~」
パネルディスカッションより 荻巣樹徳さんのお話から
葉ものに着目されていたという江戸時代の園芸。その背景には、日本の植生の豊かさがあり、それらの植物を愛でる美意識。そして葉モノを改良し作り出す技術。そこに日本人の手先の器用さや勤勉さが伺えると言います。
こうした江戸時代の古典園芸植物の世界。今までは、全く興味を持つことのなかった世界でした。興味を持つどころか、どちらかといえば、嫌悪してたと言ってもいいくらいかもしれない(笑)超マニアックな植物の世界です。
ところがその認識が、すこ~しずつ、すこ~しずつ、変わってきたのです。そして、最近、とみに江戸の園芸文化というものが、私に近づいてくるのです。先日、受講したRHSJのガーデニングのセミナーのテーマもそうでした。また、先日、訪れた花博の会場にも、江戸の園芸のすばらしさが展示された園芸文化館。RHSJのセミナーで蓄えた、わずかながらではありますが予備知識もあり、いろいろ思うところがあって帰ってきました。時間がなくなり、充分、見学の時間がとれなかったので、再度、ゆっくりとと思っていたブースです。
その心に留まったブースを監修されたのが、このフォーラムのパネリストでもある荻巣さんであったことを、パネルディスカッションのお話を通して知りました。日本の園芸文化。とくに江戸時代のすばらしさが語られ、今、花博でもそれが展示されていることを・・・・・
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庭作りを始めたのが、ちょうど、ガーデニングブームの始まりと同じでした。それまで植物を一つ一つを育てて愛でていた世界から、ブームによって、トータルコーディネート、組み合わせを考える世界へ少しずつ変貌し、新たな世界が新しい人たちの手によって、切り開かれていく。そんな印象を受けていました。
そうやって提示される世界に共感していきました。そして、いままで、このような植物の捉え方を提案する人材が、この業界にいなかったから、園芸文化が一般の裾野にまで広がらなかったのよ。なんてことを、初心者の分際で思っていたのでした。
それまで園芸といわれてイメージされるものは、ある種類を大事に、大事に育てるマニアックなおたく的世界でした。その象徴とも言える世界が、江戸時代の古典園芸の流れを引き継ぐ世界なのだと思っており、自分には相容れない世界として、存在していたのです。
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しかし、今、振り返ってみれば、その入り口は、かなり以前に、私の目の前でドアが開いていたのでした。最初の入り口はシーボルトだったように思います。シーボルトは長崎の出島にいたオランダ人。ぐらいの認識しかなかったのです。
ところが、好きで集めだしたギボウシを追いかけてたら、そこにシーボルトの存在がありました。シーボルトは、プランツハンターの役割をしており、日本の植物を持ち帰っていたことを知りました。私の知っていたシーボルトとは、違う顔があったことをその時、知ったのでした。とても妙な印象を受けたことを思い出します。
今まで知っていた歴史上の人物が、自分の趣味の世界とつながり、妙に身近な存在となって目の前に表れたのでした。その先に、江戸の園芸につながる世界が、見え隠れしていたのです。しかし、その時は、まだ、見ることができていませんでした。
江戸城誕生、400年。によって放送された番組がそれを教えてくれました。シーボルトが日本のアジサイを持ち帰り、それが今尚、植物園に保管されていること。江戸時代、たくさんの植物が日本から海外に渡り、大切に大切に保管されていること。その番組から、それまで毛嫌いしていた、古典園芸という世界は、糸をたぐりよせれば、自分の足元からつながっていたことを感じさせれていました。
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花よりも葉っぱに興味が引き寄せられるのはなぜだろ。そんなことを思いながら、誰に言われたわけでもなく、自然のなりゆきでそこにたどり着いたように思っていました。ある時、それは、たどりつくべくしてたどり着いたのだと思うようになっていました。
自分の中に組みこまれている日本人としての血なのだと思わされるようになったのです。その答えは、自然に向こうからやってきた気がしました。
園芸大国であった日本の歴史。その流れの先に今、自分が存在しているからだということ。それに気づいた時、庭作りを始めた初期に嫌悪していたマニアックな世界、その血は自分の中にも流れているのだということ。
それを思うと、それまで、マニアは嫌いと言っていた自分がなんだかとても恥ずかしく思うようになったのです。何も知らない。知ろうとしなかった。何も見てこなかった。見ていたのは自分の感情、それに任せて好き嫌いの判断をしていたということ。
以前の私だったら、花博の園芸文化館は、横目に見て、素通りしていたのだと思います。花博に訪れる前に、ぜひ見てくるといいと言われてはいたのですが、見ることはなかっただろうと思います。この変化は自分の中の驚きでもあります。嫌いだった世界が、好きにならずとも、興味を持つ存在になってしまうのです。
そうしたかつて園芸大国だった我が国の園芸の世界が今、どうなっているかというと・・・・・園芸家のステータスが低いと言います。ステータスとは何か。ある意味収入面であるとおっしゃられました。ということからすれば、イギリスも決してステータスが高いとは言えないそうです。しかし、文化的位置づけは確立されているとのこと。日本で園芸家に文化勲章は与えられてはいません。そして、園芸が産業の一部になってしまっているのが現状。そんなことをおっしゃってました。
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モノを追いかけているとそのルーツにたどり着く。これは仕事を通しても感じさせられるところです。
自分のルーツに関わるもの。自分を育んだもの、自分を形成してきたと思われるもの。それらは、私の個人的な価値基準ですが、大切にしよう。そんなルールが自分の中に確立されました。これは、園芸の歴史を知ること。植物のルーツを知ること。そんなことも影響されていたかもしれません。どちらがどちらということでなく、それぞれの世界が影響しあって、自分の中に確立されたものなのではないかと感じています。
「捨てる」ということを語る時、どうしても理由がつかずに捨てられないものというのが出てきます。そのとき、どうするのか。それまで捨てなければいけないのか。その選択に迫られた時、「自分のルーツに関わるものなら、捨てる必要はない」という私の答えが出せました。
しかし、過去にとらわれることなく、すぱっと割り切れてしまえる方もいらしゃいます。過去に捕らわれることから決裂できる方。言い換えると、「過去に捕らわれてどうする」と考えることができる方。それができるのならそれでいいのです。
でも、多くの人は、できないのではないでしょうか?そのときに、自分の先の先をさぐっていく。ルーツを辿ってみる。するとそこから見えてくるものがあるのではないでしょうか。
私は、植物から先の先の世界に知らず知らずのうちに誘われ、そこには自分の仕事の世界にも共通する世界が存在していたようにに思えるのです。
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