戦後60年、それを特集する多くの番組が放送されています。先月のことになりますが、新日曜美術館で「イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑」という番組が放送されていました。
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丹下健三氏による広島平和公園の原爆慰霊碑。実はイサム・ノグチの手によって建てられるはずだったと言います。平和記念公園にかかる橋は、イサム・ノグチによるものです。犠牲者への鎮魂、生き延びた人への励ましが込められたこの橋のすばらしさに、慰霊碑のデザインも依頼されました。
イサム・ノグチはこの依頼を、日本人とアメリカ人の間に生まれた自分にだからこそできる使命と受け止め、両国の架け橋になるべく、慰霊碑の作成に、全エネルギーを注いだそうです。ひとかたならない思いがあったようです。しかし、その思いは阻まれてしまいました。皮肉にも、日本とアメリカの血を受けたという彼の生い立ち、原爆を投下した側の人であることが理由でした。
平和への願いを込めた慰霊碑の原型がみつかりました。それは、丹下健三氏がデザインした逆U字の形を引き継ぎ、太いアーチとなって地中深くに延びていました。そしてその地中に亡くなった方の名簿を納めるという構造です。この場所は生命が宿る「子宮」であり、祈りの場と考えました。
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芸術領域のこと、よくわかりません。
初めてイサム・ノグチの名を耳にしたのは、何年も前のやはり日曜美術館という番組でした。今となっては、内容も覚えていないのですが、イサム・ノグチの名前と、モエレ沼という場所は、耳に残り続けました。いつか行きたい場所として、頭に刻まれました。
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いつか訪れたい場所というのが、もう一つありました。それは広島です。修学旅行で長崎に訪れた時、広島という場所も、この目に焼きつけておかなければならない場所として刻まれました。
こうしてずっと思い続けていた広島とモエレ沼。これまで何の接点もない場所だったのですが、イサム・ノグチという人物を通して、つながりを持った気がしました。この結びつきは、さらに偶然を呼びました。仕事で高松に訪れる機会を得ていました。牟礼の「イサム・ノグチ庭園美術館」に立ち寄る計画を、立てていたのです。偶然とはいえ、イサム・ノグチによる見えない力が働きかけてきているかのような錯覚に陥りました。札幌、広島、香川。これだけ離れた場所が、イサム・ノグチという人物を通して同じ時期に結びついてしまったのです。
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この目で確かめておきたいと思い続けた広島。それは、自分の中に、広島、長崎のあの日の記憶を途絶えさせてはいけない。という思いを持続させる力が、原爆資料館にあったからなのだと思います。数十年の時を経ても、消えることなく持ち続けさせてくれました。
8月6日、今年は原爆が広島に投下されて60年の節目の年です。
60年を迎えたこの日を、私はイサム・ノグチが愛し過ごした牟礼で過ごすという偶然に遭遇できました。この日は石の町のアーティストたちによるむれ源平石あかりロードオープニングの日でした。洲崎寺では、平家物語の琵琶の音が奏でられました。諸行無常の響きは、8月6日というこの日のむなしさを、物語っているようでもありました。
また、日本とアメリカの架け橋になることを望みながら、その思いが叶わなかったイサム・ノグチの無念さにも重なっているような気がしました。無念の原爆慰霊碑は、エナジー・ヴォイドという代表作となって、ここ牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館の酒蔵の中に納められています。しかし訪れた時、その主は存在しておりませんでした。札幌の地へ旅していたのです。
主のいない酒蔵・・・・・・・・
そこに納められた一つの彫刻に目が釘付けになりました。もしかしてこれは、札幌へ旅立ったエナジー・ヴォイドの変わり?同じ材質と思われる黒いどっしりとした彫刻です。
その彫刻の回りをゆっくり、ゆっくり一周してみました。ある角度に来た所で、足がピタリと止まりました。
何? これ・・・・ どういうこと?!
それまで黒い石だった物体が、人の姿に変貌しました。今にも歩きだしそうです。石が「足」となって歩き出そうとしているのです。
この作品、エナジー・ヴォイドが作られた以前の作品なのでしょうか?それともあとの作品なのでしょうか?気にかかって案内の方に伺ってみました。
エナジー・ヴォイドのあとに作られた作品だそうです。エナジー・ヴォイドと同じ石で作られていて、『ウォーキング・ヴォイド』というタイトルがついていると伺いました。
『ウォーキング・ヴォイド』
まさしくその名のとおりの作品でした。展示作品のことなど何も知りません。しかし、知らなくてもその彫刻から、制作者が意図したものを受け止めることができた気がして、ちょっとうれしく、また眺めていました。
その時、このウォーキング・ヴォイドからのメッセージが聞こえた気がしました。
人は常に歩いているんだよ、留まってはいないんだよ。
人だけでなく、モノだって歩くんだよ。留まってはいないんだよ。
人の手から手へ渡り歩いているんだよ。
代表作エナジー・ヴォイド不在の庭園美術館。留守をあずかっているかのようなウォーキング・ヴォイドから受け止めたメッセージです。
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「人やモノは動いている、留まってはいない」これは空間的な場所の移動です。しかしそれだけでなく、モノの見方、捉え方も、常に移動して変化しているということでもあると思いました。ウォーキング・ヴォイドを周回することによって、一つのモノでありながら、それが人に見えたりモノに見えたりしました。見る角度を変えることによって、見え方が変わるのです。
また、代表作が始めて牟礼から外に出たという巡り合わせに遭遇してしまいました。今回が最初で最後になるだろうと言われているようです。代表作のエナジー・ヴォイドにお目にかかれなかったことは残念です。しかし、モノが置かれる場所が変わることによっても、違う見え方の発見があるのだろうと、想像させられます。
この庭園美術館は、敷地や周囲の風景、作品が納められた酒蔵、そしてそれらを取り巻いている空気、光、風・・・・・それら全てが相まった宇宙的空間として、存在していると言います。そのことの意味を、主の不在によってより一層、感じさせてくれたように思います。
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自分がここれまで心に留めてきた場所に、なぜかイサム・ノグチが存在しているという不思議な感覚がありました。牟礼に訪れれる機会が得られたのも、見えない力に引き寄せられているかに思えました。
しかし、調べてみればイサム・ノグチスポットは、全国各地に点在していたのです。札幌のモエレ沼、大通公園、広島平和記念公園、大阪万博公園噴水、高松空港前庭・・・・・これらは、自分になにがしかの縁があり、いつか立ち寄りたいと思い続けていた場所でした。しかし、ノグチ作品は他にも、まだまだ存在しています。それらは日本だけに留まってはいません。
イサム・ノグチによって引き寄せられているかに思われたのは、自分に都合のよい関連付けにすぎなかったようです。身の回りに、イサム・ノグチは存在していたのです。それに気づけずに通りすぎていただけだったのでした。
アーティストは一所には留まらず動きながら、それぞれの場所に作品を残していきます。それらの作品が、その場所を離れて巡回していることもあります。
そして、自分自身も様々な土地を訪れ動いています。その立ち寄り場所と、アーティストの作品を残した場所が重なり合った時、接点ができ作品と出会えます。あるいは、巡回している作品に出会う機会と遭遇することもあります。それぞれ訪れる場所に存在する、スポットや作品に、興味の目を向けることができて、拾い上げられるか、気づけるかどうかということだったのだと思いました。
これは、アートの作品に限らず、モノとの出会いも同じなのかもしれません。モノも人の手を渡り、動きながら、あちこちに点在していまます。それらに気づけて出会えるかどうかということなのかもしれません。
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イサム・ノグチ庭園美術館の作品に、タイトルは添えられていません。学芸員の説明も簡略です。それぞれの作品からそれぞれに感じとって欲しいとのことでした。訪れる人それぞれが、作品と静かに語らう環境を守ることを大切にされています。
そのための10日前までに往復はがきで予約という、ちょっと厳しくも思える受け入れ体制が取られています。それはこの場所を神聖な生きた美術館にしておくためだと言います。
そうした環境が維持された場所からもたらされるもの。
今、旅をしているエナジー・ヴォイドを札幌という場所で見たとしたら・・・・・東京という場所で見たら・・・・・牟礼に戻ったエナジー・ヴォイドを、またこの場所で見たとしたら・・・・
またいつかここを訪れる巡り合わせがあったら・・・・・・・
それまでに、自分自身も、いくつかの場所という空間を移動して、時間や思考の空間の移動も重ねることができたら、次の出会いの時、どんなメッセージを、この場所は投げかけてくれるのでしょうか。私自身は、何を受け止められるように変わっているのでしょうか。
8月9日、遠く長崎の鐘の音を聞きながら、イサム・ノグチの平和への願いを重ねて合わせて・・・・・
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関連
・広島原爆ドーム 平和記念資料館
・平和記念資料館 企画展 原子爆弾ナリト認ム
・平和記念資料館展示から
・イサム・ノグチ庭園美術館-平和への架け橋-
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2005.11.13 追記
イサム・ノグチ庭園美術館に訪れ、作品が巡回し旅してそこに存在しないこと。「ない」ことによって、もたらされるメッセージもあることを、漠然とですが感じさせられました。
その漠然と受け止めた感覚的なものを、イサム・ノグチが言葉にしていたことを知りました。「彫刻は移動することによって進化する」と・・・・・
「彫刻は移動することによって進化する」として、イサム・ノグチは作品が移動することを望んでいた。色んな場所や条件、そして何よりも人々との新たの出会いが、彫刻をさらにベストなものへと昇華させてくれるという・・・
今晩再放映楽しみです。
http://www.kanshin.com/mod_keyword-773836
Posted by: Poughkeepsie | 2005.12.25 at 18:39
再放送されたのですね。
コメントに気づかず、見逃してしまいました。
叶わなかった原爆慰霊碑の
生まれ変わりともいわれているエナジー・ヴォイド。
東京都現代美術館で2度、ご対面しました。
イサム・ノグチの声が聞こえたような気がしました
Posted by: honda | 2005.12.28 at 00:15