戦後59年。8月15日、終戦記念日。伝え聞く様子に耳を傾けるきっかけ。昨年訪れた平和記念資料館で見てきたことを思い出します。
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75年間は草木も生えないと言われました。その中で見えた一筋の光。 それは植物の生命力でした。
今、この時期、真夏の太陽を受けてあちこちで咲きほこるカンナ。そのカンナが、焼け跡から、ひょっこり顔を出しました。
その力が、人々にも生きる勇気と希望を与えました。
被爆し縦に一筋の裂け目が走った樹木。 しかしそこに、青々とした葉をつけました。この木は、アイオイです。このアイオイの種が、広島の学校で播種されているそうです。
この写真の前でかわされていた会話。「学校でこの種、植えたよ・・・・」「広島で育った子供と、そうでない子・・・・同じものを見ても受け止め方が違うのだろうね」
この土地に生きるということは、この土地の歴史が体の中に組みこまれ、血となって流れているということなのかもしれません。
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歴代の広島市長は核実験が行われるたびに、
抗議電文を打ってきたそうです。
核の廃絶を静かに静かに、そして熱く・・・
その電文の数たるや・・・
広島という土地が歴史が担う役割をここでも感じさせられます。
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なぜ、広島という場所が投下地として選ばれたのでしょうか。 投下目標とされた都市を示すパネル。
そのパネルに愕然とさせられました。知りませんでした。自分が生まれ育った土地、その地が候補に上がっていたなんて。
都市の大きさや地形が、原爆の破壊能力を実験するのに適当であり、原爆投下後の破壊効果を確認しやすかったこと。
軍隊、軍事施設、軍需工場などが集中し、しかも無傷であったこと。
そのために、投下2週間前、広島上空からの写真が撮影されているのです。
そして投下直後の広島・・・・・・
一瞬にして変貌してしまった広島の町の全景・・・・やっとそのその写真が公開されたのだそうです。この写真が語るものは。
こちらは、投下されたその日に撮影された唯一の写真だといいます。 中国新聞社の記者が撮ったものです。直後は、涙でシャッターを切れなかったそうです。午前8時15分投下。午前11時・・・やっとの思いで最初の一枚のシャッターを切りました。
やはりここでも記録することの使命を感じて、とるものもとりあえず、撮影に走ったのでしょう。
磐梯山に訪れたときに見た展示の中でも同様にそんな方がいらっしゃいました。この噴火の状況を記録せねばと、危険な中、カメラをかついで山に入った人がいました。
いつの時代にも、強く確かな志を持って、後世に残そうとする人たちがいました。私たちはそれを受け止めていかなくてはいけないと思います。たとえ1年に一度になってしまっても、今日というこの日に・・・・・
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関連
・広島原爆ドーム 平和記念資料館
・平和記念資料館 企画展 原子爆弾ナリト認ム
・平和記念資料館展示から ←この記事
・イサム・ノグチ庭園美術館-平和への架け橋-
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Posted by: Yinka | 2012.05.02 at 11:50