第2部 「日英の園芸家魂 ~園芸への取り組み方と未来~」
パネルディスカッションより 奥 峰子さんのお話から
最後のお話が印象的でした。自分の庭を構成する植物の選び方として、イギリスの例をあげられました。素性のわからない植物は選ばないそうです。その植物の由来、「どこそこのだれそれからいただいた」そういうことを大切にするそうです。人にその植物のことを語るとき、それにまつわるお話ができることを大切にするのだそうです。
そして、これからの提言として、次のようなことを語られました。
・自分が何をきれいだと思うのかを決める
・育てられるかどうかの確認 自分が育てたものだけを紹介
・紹介の際には、育てる知識とともに紹介していく
・植物を選ぶときは、「何のために」「どうしてここに」
「どこに」「いくつ」「どれくらい」を考える
やはりここでも同じだと思いました。モノと向き合ってきて気づかされたこと。それは「IN STOCK OUT のバランス」をかんがえなければならないということ。
「IN」モノを持ち込むとき、「なぜそれが必要なのか」「どれくらい必要なのか」「どこに置くのか」・・・・・そんなことを見極めた上で持ち込むことが大切。(5W1H いつ、どこで、誰が、何に、どう使う)(使用年数、必要量を数値化)
そして、植物を語るストーリーを持つということ。私は記念樹という捕らえ方をして植物を持ち込んでいます。「これはね、仕事であそこに行った時に、○○ナセーリーに立ち寄って、○○さんからいただいてきたものなんです。そのときには、こんなお話を伺ったんですよ。そして、そのお仕事の時にこんなことに気づかされて、これを元に今のこのスタイルができあがったんです」そんなストーリーが私の植物にはあります。
家の庭を構成する植物、一つ一つに、私なりのそこに存在する意味付けがあるのです。そういう能書きや意味づけを嫌う人もいると思いますが、でも庭の楽しみ方なんて、人それぞれでいいのだと思うのです。私は私の庭の楽しみ方があるのですから。人の庭の楽しみ方に対して好き嫌いはあったとしても、優劣はないと思うのです。自分の楽しみ方をみつけることができたことに満足しています。
自分の楽しみだけを追いかけていれば、人のスタイルに対して、どうのこのはなくなるのだと思いました。かつて「マニアは嫌い!」そして「私はマニアじゃない!」と大きな声を張り上げていた時期があります。しかし、自分がマニアと思っていなくても、外からは、マニア以外の何者でもなかった。ということに気づかされて思ったことでした。
「人に求めるのではない。自分に求めていく」ということに気づかされて、自分がそれまで追いかけていた様々なことから開放された気がしました。人のスタイルに対して、とやかく言うことが、いかに恥ずかしいことで、はたから見ていたら、みっともないことなのかということに気づかされました。
イギリスではかくかくしかじからしい・・・・・・なんていうと、イギリスかぶれのように思う人もいるのかもしれませんが、イギリスがああだこうだではなく、自分が追いかけて歩いて、たどりついた結果であると思っています。
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